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慧が階段を降りていくと、仏間の襖が開いていて、布団の上で横になっていた早苗と目が合った。
「ごめん、起こした?」
外は暗く、まだ電車も動いていない時間だ。眉をひそめると、
「ちょうどトイレに行こうと思ってたのよ」
とやや不機嫌そうな声で(と言ってもそれはいつものことなのだが)言われた。
慧がダイニングで朝食のパンをかじっていると、廊下から何かが崩れるような大きな音がした。慧がすっ飛んでいくと、暗い廊下でうずくまっている早苗がいた。
「大丈夫? どこか打った?」
「平気。ゆーっくりすれば大丈夫なのよ。医者も大げさなんだから」
そう言いながらも「いたた」と言って腰を抑えるのだから、全然大丈夫ではない。
早苗が階段から落ちたという連絡を近くに住む叔母の光代からもらったのは、三日前のことだった。今まで大きな怪我も病気もしたことがなく、病院にかかったのも慧が知っているのはこれが初めてだった。その知らせを受けた慧は、急遽クライアントとの会合をキャンセルし、血相を変えて病院に飛んで行った。だが、病室の白いベッドの上で腰にコルセットを巻いている母は、いつもより少しだけ機嫌悪そうに顔をしかめているだけで、不幸中の幸いというレベルではあるものの慧はほっと胸をなでおろした。
「でもこの調子じゃ、今年はお父さんのとこ行けないわねぇ。あんたが代わりに行ってくれるわけでもないし……ってやだ、今日も仕事? 今日日曜よ?」
慧に支えられながら立ち上がった早苗が、スーツの慧を見て、ますます目をサンカクにした。
「月末だからさ。十時になったら、光代おばさんが来てくれるってよ」
顔をしかめたままの早苗にそう言い残し、朝ご飯――と言っても、昨日仕事帰りにコンビニに寄って買った蕎麦とペットボトルのお茶だが――を仏間に置いて、慧は家を出た。
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