2 赤染めの水平線

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 別に話題を探すでもなく、ただ黙々と教室を目指す。 「今度貸してくれよ」  階段を下りる最中、いきなりの横柄な頼みごとが沈黙を破った。  肝心な部分が抜けた申し出に、頼まれた方の光希は首を傾げる。 「貸すって、何を?」 「本。宮沢賢治の"やまなし"」  短いタイトルを、本条は凛々しく発音した。 「俺、小学生の頃に国語の教科書で読んだだけだから、全部読んだことないんだ。読んだ部分もはっきりとは覚えてない。だから貸してくれよ」 「ああ……ごめん。僕も持ってないんだ」 「あれ? 昨日久し振りに読んだ、とか言ってなかったっけ」 「昼休みに図書室で読んだんだよ。あの話はすごく短いから、休み時間に読めてしまえるんだ」  階段を下り終える。渡り廊下へ出ると、清涼な風が揺らめいた。空が白い。 「へぇ。持ってないんだ。てっきり鈴原には思い入れのある作品なんだと思った」 「持ってたよ。小さい頃は、"やまなし"も載ってる宮沢賢治の短編集を持ってたんだけど……他の話を読み終わる前に失くしちゃって」 「読まなくなった本ならともかく、読み切ってもいない大切な本を失くすなんて珍しいな」 「そうかな……僕にはよくあることだけど」  なだらかな空気の波が鼻に触れ、遠い雲の向こうでは唸り声が聞こえた。
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