第1章

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修も、それ以来、何度かその蕎麦屋で配達を頼むようになった。そうしているうちに、少しずつ彼のことが分かってきた。それは、蕎麦を頼むたびに、少しずつ、彼と言葉を交わしていたからだった。ただし、あまり長く、深く彼を探るような言葉をかけてはいけない。何気ない雑談の続きのように。少しずつ彼を探らなければいけなかった。 修は、蕎麦はあまり好きではないけれど。彼の事をさぐるために、週に3回程度は昼食に頼んだり。または、店に行ったりしていた。 そうしているうちに、じわりじわりと彼の事が分かってきた。彼は、春野 敬偉(はるのけい)という名だった。三流大学を卒業して、就職活動に失敗し、今の蕎麦屋でアルバイトをしているらしかった。郷里は静岡の方で、今はひとり暮らしをしている。特定の彼女は居ないようで、「趣味は登山で、休みの時には、もっぱら、1人で、山に登っている」と言っていた。住んでいるところも、修の会社のそばのアパートであることまで分かっていた。 これだけ、情報が集まれば、充分だった。 修は、敬偉がひとり暮らしでなければ。彼女が居たら。「狩り」の対象から外そう、と思っていたけれども。敬偉の状況は、まるで修に「狩りをしろ」と言っているように都合良かった。 修は、敬偉の事を「狩る」と心に決めたときから、「いつが都合がいいだろうか…」と悩んだ。そうして、「敬偉が、山登りに行く」ときめている日に彼を「狩る」事をすれば、しばらくは敬偉が行方不明だということが分かりづらいだろう…と思った。敬偉が、1人での登山を好んでいることも、ちょうど都合がいいように感じた。 そう思うと、修には、これは、「敬偉を狩れ」という神からの啓示のようにも思えた。 「次は、いつ頃山登りに行くんだい?」 修は、蕎麦屋に行ったときに、極めてさりげなく、敬偉に問いかけた。 営業周りをしていた関係で、午後3時という中途半端な時間だったせいで、店内には客はほとんどいなかった。 顔なじみなせいもあって、カウンターで食べている修の傍によってきて、皿を拭いていた。 「今度の月曜日から行こうと思って居るんですよ。店の方にも休みをとっていますし」 「今度は、どこに登るんだい? 」 修は登山には興味がなかったけれど、敬偉の趣味だ、ということで、少しだけ勉強をしていた。
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