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けた。
周りを歩き回って探したがやはり見つからない。
肩をおとして部屋に戻ると、母親が「今電話があった」と言う。
親切な男性が父に声を掛け(あるいは父が家の場所を尋ね
たのか?)、タクシーに乗せてくれたらしい。
表で待っていると、父が決まり悪そうにタクシーから降りて
きた。
「いやーご迷惑掛けました!」なんて言いながら。
私は怒る言葉も出ず、運転手に料金を支払った。
その後父は反省したのか数日は外出しなかったが、すぐに
それも忘れて徘徊を繰り返した。
その度に親切な方の計らいで難を逃れたのだ。
父親が決まって徘徊した街が八丁畷だった。
川崎に転居する前に住んでいた仙台に似ていたのだろうか?
ある日父親がいつものように消えてしまい、なかなか戻らない
ので、警察に捜索願いを出そうかと迷っていた時に電話が
きた。
電話の向こうは女性。
聞くと、八丁畷のスナックだと言う。
母親と私が迎えに向かうと、京急線八丁畷駅のすぐそばの
商店街にそのスナックはあった。
まだ17時前だったが、扉を開けると客が居た。
その奥で父親はお茶を飲んでいた。
父親は、あれだけ好きだった煙草もお酒をいつしかやめていた。
だからこの日も、酒は飲んでいなかった。
母親がスナックのママに
「おいくらですか?」
と言った。
「いえいえお茶だけだから別にいいんですよ」
と返す。
経緯を問うと、迷った父親が出勤中のママに道を尋ねたら
しい。
そこでママはお店に誘って、そこから電話を掛けてくれた
のだ。
奥の席で父親は恥ずかしそうに
「いやーご迷惑掛けました!」
と言いながら立ち上がった。
ママにお礼を言ってお店を出て、3人で八丁畷を歩いた。
旧東海道を歩いていると句碑を見つけた。
「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」
松尾芭蕉の句碑だ。
「松尾芭蕉が歩いた場所なんだねー」
母親は言った。
その後父親は何度も徘徊を繰り返した、しかしなぜか行き
先は八丁畷のスナックだった。
何も飲まず、ただ常連客と談笑していた。
よほど八丁畷は居心地が良かったのだろう。
こんなよそ者でも暖かく迎えてくれる場所が八丁畷だった。
それから1年後、父親は胃がんで亡くなった。
芭蕉が弟子たちと永遠の別れをした八丁畷の病院で。
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