灰色の景色

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戦闘機に乗る為の訓練をしていた清二達だったが 3月の沖縄戦で練習機まで投入されて、日本には 彼等が乗る戦闘機がもう無かった。この為予科練 は3月をもって解散、清二は本土決戦に備えた 特攻訓練を6月から行うコトとなった。 そして清二が向かう野比海岸では、横須賀第71 嵐部隊が特攻兵器「伏龍」の訓練を行っていた。 「伏龍」は狂気の人間兵器だった。潜水具を着て 鉛の草鞋を履き、暗い海底に何時間も潜んで敵の 船底を爆薬付きの槍で突く作戦なのである。当然 本人も爆発の餌食となる決死の攻撃だった。 おまけに潜水具の事故が多発、横須賀では既に 10名が訓練中に犠牲となっていた。 立派な戦艦も空母も戦闘機も失った日本軍だが 降伏を口にする者はいなかった。代わりに 「本土決戦で米軍を殲滅させるのだ!」 「一億玉砕だ。大和魂を米軍に見せつけろ!」 と声高に叫び続けていた。 「恐らく敵は茅ヶ崎海岸から上陸するだろう」 教官はそう予測していたが、実際米軍も同じ場所 から上陸する計画を立案していた。 「ダウンフォール作戦」と呼ばれた上陸作戦は、 鹿児島・宮崎に上陸して南九州を占領後に中距離 爆撃機の飛行場を造る「オリンピック作戦」と、 千葉・神奈川に上陸して首都東京を包囲占領する 「コロネット作戦」とに分かれていた。米陸軍の 総指揮官はダグラス=マッカーサー元帥。 「コロネット作戦」ではヨーロッパ戦線を戦った 第1軍とフィリピン戦線を戦った第8軍が中心と なり、107万人の兵力と1900機の戦闘機が 投入される予定だった。コロネットとは宝冠の 意味で、上陸後に宝冠の飾りの様に部隊が散り、 横浜・横須賀など各市を占領する計画から名付け られた。戦車や大砲の他、抵抗する日本軍と住民 を皆殺しにする毒ガスも準備され、トルーマン 大統領が正式に作戦を承認、オリンピック作戦の
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