灰色の景色

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宮田清二は、死ななかった。 広島・長崎と2発の原爆を落とされ、ソ連参戦を 受けて日本はポツダム宣言を受諾、8月15日に 連合軍に降伏した。戦争終結に伴い11月に開始 予定だったオリンピック作戦は幻となり、翌年も 翌々年も、日本という国は世界地図に残った。 清二は両親の元へと戻り、南方戦線に向かう途中 輸送船が撃沈されて戦死した兄の位牌と共に母親 の故郷だった四国松山に移り住んだ。 いたる所が焼け野原となった日本で、無我夢中で 働いた。だがどこまでも清二の目に映る風景は 灰色のままだった。多くの友人知人が亡くなり 「生き残ってしまった」罪悪感が付きまとった。 そんな清二が上京したのは14年後の昭和34年 だった。松山の特産品愛媛みかんの商談で東京に 呼ばれたのだが、松山から電車を乗り継ぎ大阪で 一泊した後、翌朝前年に誕生したばかりの「特急 こだま」に乗り、7時間弱で東京駅に到着した。 無事に商談を終えた後、清二は品川駅まで行くと 私鉄の駅で湘南久里浜行きの切符を買った。 戦時中「大東急」と呼ばれた巨大路線は幾つもの 会社に分かれ、品川線と湘南線と久里浜線の三つ は「京急線」と言う路線に変わっていた。 品川駅を出発した電車はカタンカタンと心地良い 音を響かせてレールの上を滑る様に走る。清二は 窓の外に広がる灰色の景色を眺めていた。 どれくらい走っただろうか。隣に座る男の子が 座り飽きたのだろう、鞄からけん玉を取り出して 遊び始めた。コンコンと大皿小皿に玉を入れて 行くが、けん先に入れようとすると失敗してその 度にリズムが途切れる。その隣では父親が軽く イビキを掻いて寝ていた。暫くそのまま見ていた 清二だったが「ちょっと貸してみて。」と男の子 に話し掛けた。そしてけん玉を受け取るとスッと 構えて、コンコンコンコンと大皿と中皿を使って 「鍛冶屋」をやってみせた。続けて「皿胴一周」
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