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「宇宙一周」、最後に玉をあげてけんを一回転
させる大技「つむじ風大皿」を披露した。
「わあっ、凄い凄い!」
技が決まる度に男の子がパチパチと手を叩き歓声
をあげる。けん玉を男の子に返した時、電車が
トンネルに入り壁の外が真っ暗になった。そして
再び外へ出た時、パッと清二の瞳に飛び込んで
来たのは、赤や茶や水色の屋根の家々、真っ直ぐ
立つ電柱、青い空、そして深緑の山だった。
「ああ、空が青い。山が緑だ。」
清二は思わず声を上げた。10代の後半に失った
色彩が突然甦ると共に、清二がずっと呑み込んで
来た感情が、一気に爆発した。
「俺は、生きたい!!」
叫びたい衝動に駆られた清二は慌てて口を押えて
隣の車両に移り、しゃがみ込んだ。涙が溢れ出て
止まらなかった。他の乗客達は突然隣から移って
来て声を殺し泣き出した清二にざわめき困惑し、
少し距離を置きながらジーッと視線を注いだ。
「あの、大丈夫ですか?」
しばらくして一人の若い女性が清二の側に近寄り
ポケットからハンカチを取り出すと心配そうな顔
で差し出した。グシャグシャの顔を上げる清二。
その女性が、戸田静江だった。
本当は京急鶴見駅で下車してデッサン教室へ行くハズ
だった彼女は、電車が京急鶴見駅に到着しても結局
降りなかった。後にあの時降りなかった理由を
清二が尋ねる度に「どうしてだろうね。」と彼女
は優しく笑った。清二もまた、長い間押し殺して
来た胸の内を何故初対面の女性に打ち明けたのか
判らなかった。どんなに考えても「運命だった」
という答えに最後は辿り着く。
清二は彼女に今まで世界が灰色だった話をした。
けん玉好きだった清二少年が新技に成功して母親
に見せようと部屋に入った時、兄の戦死の手紙に
泣き崩れる母親を見たコト。今は戦時中なのだと
けん玉を机の引き出しの奥にしまい込んだコト。
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