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ある晴れた日。風に草の香りが混じる、広い広い草原の真ん中。
小高い丘のふもとに拓かれた小さな畑で、老いた農夫が黙々と仕事をしていた。
くしゃくしゃにもつれた真っ白な髪と髭。深く刻まれたしわに半ば埋もれるようにして輝く青い瞳は、農夫らしく実直な光を宿している。
彼は小さな畑を早朝から世話し続けていた。真面目な農夫であるらしく、文句も言わず、愚痴もこぼさず、作物よりも早く生えてきた雑草の始末を地道に進めていく。
昼前になってようやく仕事を終えて、彼は手を止めた。ずっと丸めていた背中を億劫そうに伸ばして、丘の上を見上げるようにして背中を反らせる。
その時、老人は丘のてっぺんに男が一人座っているのを見つけた。
弱い視力で彼をじっと見つめ、首をかしげる……このあたりの草原にはあんな男はいなかったはずだが、と思う。
少し迷ってから、老人は男に声をかけた。
「……おーい若いの。あんた、そこでなにしとるのかねぇ」
掠れてか細い声だったが、丘の上の男にはしっかりと聞こえたようだ。老人に向かって軽く手を振ってみせながら、彼は陽気に応じた。
「おう、空を見てるんだ」
簡潔な返事を受けて、老人は彼に興味が湧いた。大の男が働きもせずに昼間から空を眺めているだなんて、どんな物好きだ、と。
老人は彼と話してみる気になった。ゆっくりと丘を登り、男に声をかける。
「となり、いいかね」
「いいぞ」
老人の唐突な来訪に、男は気さくに応じる。二十代そこそこだろうか。まだ顔立ちに幼さが残っている。
老人はゆっくりと若者の隣に腰をおろして、空を見上げた。
「どっこいしょ……はぁー……ああ、今日はいい日だなぁ。よく晴れとる。畑と草ばっかりで高い建物なんかないから、ここの眺めは最高だろう」
男は頷いた。
「そうだなぁ。太陽がちゃんと出ててあったけぇし、いい日だ」
老人も頷く。そんな軽いやりとりで、老人の瞳に残っていたわずかばかりの緊張の色はすっかりなくなり、好奇心だけが残っている。
「ところであんた、このへんのもんじゃないようだが、どこからきなすった?」
尋ねられて、男は懐かしむように目を細め、首を横に振った。
「確かに今は違うけど、昔はここに住んでたんだぜ」
「ほう。今はどこに?」
「東の方」
「ほぉ」
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