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老人はちらりと男の服装に目をやった。
かなり長いあいだ旅暮らしをしていたのだろう。その服は過酷な旅に耐えかねて、ボロボロになっていた。靴は履いておらず裸足で、額に巻いた黒い帯もかなり古びて、今にも切れてしまいそうだ。
しかし、これほどひどい格好をしている男だというのに、なぜか不潔さは感じない。貧しさを苦にして世間を恨んでいる者にありがちな卑屈さも感じられない。
泰然自若とでも言うのだろうか、これで男が白い髭をたっぷりと蓄えた老齢の人物であったならば、賢者か仙人と形容したであろう、そんな雰囲気だった。
「旅暮らしは長いのかね?」
「まぁな。もう何年になるか、数えるの忘れちまったからわかんねぇけど、長い」
男は笑って、ゆったりと周りを見渡す。
太陽の透明な光が、どこまでもつづく草原をさんさんと照らし出していた。
初秋の風が男の頬を優しく撫でていく。彼は草の鳴る音と、遠くからかすかに聞こえる川のせせらぎや小鳥の鳴き声に耳を澄ませながら、まるで見えなくなった過去をそこに見ているかのように、遠くへと視線を投げている。
「……随分変わっちまったけど、やっぱり気持ちのいいところだ」
「そうかい」
老人はまた相槌を打って……それからふと、何かを思い出しかけたような表情で首を傾げる。
「……そうだ、そういえば、わしが子供の頃、ずいぶん前……ありゃあ、いつのことだったかなぁ……?」
ぶつぶつとつぶやきながら考え込んでしまった老人に構うことなく、男は空を眺め続ける。
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