第1章

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ついにその日がやってきた。 高橋は湘南鷹取循環京急バスの中で時刻表をみながら今日はどの電車に乗るのか決めるのが習慣になっていた。その時刻表は「京急に乗って三崎のまぐろを食べに行こう!」と下のほうに電車の時刻表の数倍も大きな文字で印刷されている折りたたみ式の縦九・五センチ、横六・五センチの小さな追浜駅発時刻表であった。  毎年十二月に改正される時刻表であるが、高橋のそれは独特の書き込みがされている。それは時刻表の朝五時代から九時代の数字のうち特急分のみ赤い字で「ア」と「マ」の字が挿入されている。書き込みは高橋が二度目の勤務先である関連会社の定年である六十五歳になるまで続けられた。  平成二十八年三月三十一日が定年日であった。明日からこの小さな時刻表ともお別れかと思うとこの小さい時刻表に高橋は愛しい気持がこみ上げてくるのを隠せなかった。 高橋は横浜市中区の小さな商事会社の営業マンで九州の高校を卒業すると進学しないで就職し、三十五歳までは相鉄線の瀬谷に住み結婚してから三十五歳の時湘南鷹取の建売住宅を購入して京急バスと京急電鉄を利用し通勤した。六十歳でいったん定年となり、同じく関内にある関連会社の六十五歳まで勤めたのであった。 「ア」と「マ」の意味は後回しすることことにして高橋の住まいは電鉄系のS不動産が造成した横須賀市湘南鷹取団地である。北は横浜市金沢区六浦に、西は逗子市の「池子の森」に隣接し、南は田浦の「梅林」に近接し、市内でも「湘南妙義山」とも呼ばれる鷹取山を中心に多くの緑が残されている。 鷹取山はその昔江戸時代に鷹匠が自分の鷹を訓練した場所であり、その後石切場として、今でも多くの垂直に近い岩肌を持つロッククライミングの初級練習場として有名な場所になっている。鷹取山と団地の街路樹は春にはピンクの桜吹雪が舞い、秋はいちょうが黄色に色づき目を楽しませてくれる。鷹取山の頂上から見る周辺の俯瞰図はいつ見ても緑に満ち溢れている。 一般的にどの住宅団地の街路樹は整備されているが、湘南鷹取は背後地の鷹取山も含めて開発されたので他の団地と比較しても緑が多い。朝の散歩に鷹取山に登ると朝のラジオ体操の歌が聞こえたり、森林浴として木々が出す香りの元となるフィトンチッドは癒しの香りでもあり、リフレッシュしてくれる。
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