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腕の時計に目をやれば、時刻はすでに日付が変わろうとしていた。
溜息がこぼれそうになるのを何とか堪える。
「…っ」
頭の奥の方で鈍い痛みが走った。
何となく身体も重い。
仕事の疲れが溜まってきているんだろう。
ようやく見えてきたアパートの灯りに無意識にほっと息を吐いた彼女は、鞄から鍵を取り出して扉に差し込んだ。
その時、左腕の数珠が時計と擦れてシャラ…と音を鳴らす。
何気なくその音に反応して数珠へと視線を落とし、そっと撫でた。
それは今は亡き母がくれた、水晶とオニキスで作られた数珠のブレスレット。
わざと音を出すようにもう一度その腕を振ると、不思議と頭痛が遠退いた気がした。
「ただいま」
誰もいないのを知りながら、彼女は扉を開くと中に向けて声をかけた。
目には見えないけれど、そこにいるだろう両親に向けて。
ーーーーー
「…帰ったな」
彼女が家に入ったのを見届けて、少し離れた場所で様子を眺めていた青年が呟く。
足元に寝そべっていた犬が、青年の声に反応して顔を上げた。
「ちょっとくっついてきたけど、まだ平気そうだな。…でも、そろそろ限界か…」
語りながら、足元の犬の頭を優しく撫でる。
犬は気持ちよさそうに目を細めた。
「さて、俺らも帰るか。おっさんに叱られちまう」
ぐっと背伸びして、青年はアパートに背を向けて歩き出した。
すぐ横を寄り添うように犬も続く。
「…わかってるよ、わかってる…。だから安心しろって。今は、あいつについててやれよ」
青年は、人のいない虚空に向かって答えた。
まるでそこに「誰か」がいるかのように。
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