番外編  現部下は元先生

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「――の君。遠野君」  あたたかい水の中でたゆたっていた意識に、だれかの声が溶け混ざる。同時に机の上で組んでいた腕を揺り動かされ、暁は目を薄く開いた。 「ちょっと、起きてってば」  肘が痛いな、とぼんやり思う。枕代わりに重ねていた腕は、頭の体重を受けながら机の角に押し付けられていたようで、痺れと共に鈍い傷みがあった。そこを片手で撫でながら、すぐ脇に立つその人を見上げる。 「もうみんな行っちゃったよ。次体育でしょう」  呆れたように言う彼女の長い髪が、窓から吹く風でふわりと揺れた。それをぼうっと見ながら、たいく、と言われたことを脳内で繰り返す。  昨日夜思い立って、部屋にある洋楽のコレクションを年代別に整理していた。そうしてたら途中から「これ久しぶりに聞こうかな」とか「これのコピー版てだれが歌ってんだっけ」とか横道に逸れていって、結局夜中過ぎまで音楽を聞いていた。途中からイヤホンを付けていたけど、朝母親にいったい何時まで起きてたのよ、と小言を言われた。  そんなことがあったから、一時間目の現代文は始まったことも記憶にない。    暁は黙ったまま教室に目をやる。ごちゃごちゃと乱れた机と椅子が、人数分並んでいる。クラスメイトは誰もおらず、更衣室に向かっているらしい。廊下を走る生徒たちの笑い声が聞こえる。 「ほら、早く行かないと間に合わないよ」  反応のない暁に焦れたのか、彼女が言葉を重ねる。暁は振り返って、 「先生」  彼女を呼んだ。  
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