31歳、職探し中

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「遠野君」  身長百六十センチの私より二十センチ以上高い背。一年生の遠野暁(とおのさとる)が碧の腕をつかんでこちらを見下ろしていた。二重の目がじっと碧を見ている。  おもわず、きれいな目だな、なんてばかなことを考えた。  そのままグイッと腕が引かれ、体がまっすぐに戻る。 「ありがとう」    先生へいきー? と女生徒が言う声に笑って頷く。暁ははずみで落としてしまった漫画を拾うと、表紙を見て 「なにこれ、新しいやつ?」  そうそう、と腕の中で教材を持ち直しながら答える。 「ホント好きだね、漫画。ほんとは没収する立場なんじゃないの」  暁がからかうように笑う。碧は左右をすばやく見て、声をひそめた。 「だからこっそりやってるんじゃない。それに感想文は提出してもらってるし」  いいから返してよ、という意味をこめて顎をグイッと上げる。  感動すればすべて文学だ。それが碧のポリシーだった。担当科目は国語だったけれど、だからといって明治や大正の文豪の作品ばかり生徒に薦めたいとはおもわなかった。  まだ心が柔らかい十代のうちに、たくさんの作品に触れて、できるだけ心豊かな人間になってほしい。漫画だって立派な作品で、立派な文学だ。そうおもって、こっそりこうやって生徒に漫画を貸し出していた。  ただし一応教育の一環としてやってるという名目があるので、漫画を貸した生徒には必ず感想文を書いてもらうようにしていた。形式は、手紙でもなんでもいい。一行だってかまわない。自分の心の琴線に触れたワンフレーズをそのまま書いてもいい。  読んだこと。書いたこと。伝えたこと。  それがいつか生徒たちにとって、なにか意味のあるものになってほしい。そんなふうにおもっていた。  ぱらぱら、とページをめくっていた暁が漫画を閉じる。 「これ俺にも貸して」  えー、と隣で女生徒が笑う。 「それ少女マンガだよー?」  いいんだよ、と暁はニヤッと笑った。窓から入ってくる陽光が黒髪ときれいな目に光りを浴びせて、あと数年もしたらいい男になりそうな気配を漂わせていた。
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