第1章

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序 「アリーナ」  上下左右の別などない。それだけでも十分。それなのに、さらにその中をこの肉の身が漂うのであれば、それは夢に他ならないだろう。しかし、不思議なほどにこの〝夢〟は実感を伴う。特にそう――眼前にいる巨大な狼は。  赤みの強い紫色の体毛に身を包んだそれは、牙を剥くでもなく理性に輝く金の双眸を向けてくる。 『全く、こちらの大陸の人間は本当に我々の言葉が分からんのだな。そなたも聞こえてはいるようだが俺と会話出来んようだし』  ため息をつき、巨狼はゆったりとした動作で首をめぐらせた。この何もない世界でも、それには何かが見えているらしい。 『あちらの大陸に行ってもいいのだが、あちらには色々といて騒がしいからな。そう、俺は騒がしいのは好きではないのだ。断じてあちらの連中に勝てぬからではない』  全身に負っているのと同じ裂傷がついた足を慰めるように舐めて、巨狼は何故か言い訳を始める。仔細は知れないが、どうやら「あちらの大陸」という所にいる「あの連中」に負けたようだ。  頭の中で考えていると、金の双眸が再び向けられる。ビクリと体が跳ねるが、巨狼は何事もないように穏やかな雰囲気を崩さない。 『それに、そなたの魂は随分と寝心地が良さそうだ。この傷を癒すためにも、そなたと契約を交わすとしよう。何、聞き取れてはいるのだ。その内会話も出来るようになろう。覚えておくが良い、我が名は○狼の○ ド××××。もしも我が力が必要となれば、その時はこの言葉を唱えよ。――――』  巨狼が何かを伝えようとするが、それが届いたのは一部のみ。音が、色が、感覚が、迫り来た白に飲み込まれてしまったために――。  暗闇の中、ベッドに横になっていたジェンティーレ・カウジオのシナモンブラウンの双眸がふっと開く。とても自然に起きたせいか、寝起きとは思えないほどに頭は冴えていた。  深い息を吐きながら半身を起こせば、目と同色の髪が顔にかかる。中途半端な長さに切ってあるそれを指で梳くと、ジェンティーレからは自然と笑みがこぼれた。「シルエットが犬のよう」とからかわれる髪型だが、『大好きな彼女』と揃いになれるお気に入りの髪型である。  つい先ほどまで見ていた夢を思い起こし、ジェンティーレは暗闇に包まれた部屋を見回した。今はカーテンの隙間から僅かに漏れる満月の月明かりが唯一の光源で
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