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深夜に近い時間帯。通常ならば殆どの者が眠りについている時間帯ではあったが、鬱蒼とした森と険しい山に囲まれた、お世辞にも広いとは言えない土地を治めている領主館の一角で、二組の男女が一つのランプだけを点した中で、緊張した顔付きで言葉を交わしていた。
「グラウル。取り敢えず領内に集まっていた者達は、もう全員向こう側に行っているな?」
「はい、兄上。この半月程で、夜陰に紛れて少人数ずつ移動させました。あとは兄上達だけです」
「そうか……。すまないな、グラウル。お前に後の事を、何もかも押し付ける事になってしまって……」
「いえ、これからの兄上達の御苦労を思えば、それ位何でもありません」
沈痛な面持ちで言葉を交わしている男二人は、兄弟であるが故に良く似通った顔立ちをしていたが、その服装には歴然とした差があった。
兄の方は簡素な、如何にも旅支度と言える機能性と強度を重視した作りの服であり、弟の方はそれよりは肌触りや装飾を念頭においた上質の装いである。そしてそれは、彼らの傍らに静かに立っている妻達も同様であった。
要するにその差は庶民と支配階級のそれであり、今後の彼らの人生の違いを如実に現していたのだが、この場の四人のうちそれに関しての不満や不安などを口にする者は、誰一人としていなかった。
「それでは、後の事は任せた。打ち合わせ通り、私は急病で死んだ事にしろ。もとより、こちらに戻る気はない」
「はい、心得ております。ここは我々が、命に代えても守り抜きます。そしてこれからも、言われ無き迫害を受ける者達を保護して、そちらに送ります」
「宜しく頼む」
この場で最年長のガイナスが、至近距離にあったドアの取っ手に手をかけながら弟とやり取りをしていると、とうとう我慢できなくなったらしいグラウルの妻のアリシアが、涙声でこれから旅立とうとしている兄夫婦に告げる。
「お義兄様、お気をつけて下さい。リスベラも、あまり無理はしないで。こんなとんでもない事をやってのけたのだから。本当に、向こうで暮らすのが無理だったら、いつでも戻って来て……」
そこまで言って口に手を当ててむせび泣いた彼女に、(それはできない相談だ)と兄夫婦は思いつつ、余計な事は言わずに申し訳無さそうに声をかけた。
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