湖の約束 3

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「ごめん…」  うなだれた優志が呟いた。 「昨日3人分のデータを保存するとき,使いやすくなればと変更を加えたんだ。でも,保存先から拒否されて…」  提示された方法を実行するときに何かを見落とした可能性がある,と言う。グループの学生は,そんな,不注意だよな,と不満を漏らし始めた。  今や教室中の人間が3人の動向に目を向けていた。優志はさらにうなだれてしまった。  教卓でメイン・コンピュータを操作していたハーヴィッツが,同情を込めて優志たちに近づいて来た。  「仕方ない。気にしないで,失敗はお互い様だ。やり直しがきくんだから,早めに取りかかるといい」  ハーヴィッツが優志の肩を叩こうとしたそのとき。 「待ってくださいっ」  ブライスが駆け寄って優志の腕を取り,ぐいと自分の方に引っ張った。教室にいる人間が皆ブライスを見た。 「優志はミスの原因を解明してグループに謝罪し,講座を受けるための心構えを再確認すべきです。ただ,その前に…」  ブライスが優志に視線を投げた。 「…優志は頭を冷やす必要があるので,少し時間をください。失礼します」  ブライスは優志の背中から脇の下に手を回して,引きずるようにして部屋を出た。声を発する者がいなかった。  ブライスは大股で優志を引っ張り続けた。無言だった。優志も何も言わなかった。  工学部の院が入っている建物を出て,石畳の広場に向かった。中央は周囲より数段高くなっている。  広場の中心には,東南方向にレーニア山が見える,ドラムへラーと呼ばれる噴水がある。優志はそこを通りかかる度に,思い出の山を見つめずにはいられない。  その噴水の周囲には満々と水を湛えた池があり,ブライスは縁までくると優志から手を放した。はぁはぁと息が荒い優志を見て,ブライスはすっと頭を優志の胸のあたりに下げて,肩と尻下に手を回した。身体が後ろに傾いだかと思うと,一瞬ののち,優志はブライスに抱きかかえられていた。 「な,何…?」  ブライスと同じ目線になった優志は,どうしてこんなことになったのか訳がわからなかった。間近にブライスの顔が見えて心拍数が高くなり,耳の奥でドクンドクンと音がした。  厳しい表情のブライスが,一瞬微笑んだような様な気がして優志は両手をブライスの首に廻した。距離が縮まって青空の色を映したブルーグレーの瞳がよく見えた。 美しく強い意思が現れた瞳だった。
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