湖の約束 3

31/102
前へ
/102ページ
次へ
「こんなに軽くなってしまって…」  ブライスの唇が確かにそう動いた。    その足が片方ずつ空を蹴る振動が伝わってきて,それから上に移動したから,優志は廻した腕に力を入れた。どうやらブライスが縁を乗り越えてジャブジャブと池を進んでいるらしい。 その唐突さにあっけにとられていると,自分の背中が水の飛沫で濡れるのを感じた。  後ろを振り返るために,優志は腕の位置を変えようとして力を一瞬緩めた。  と,身体がほんの少しふわりと浮いた。  バッシャーン!  優志は噴水の水が落ち込む箇所に放り投げられていた。  一度足が池の底に着いたが,勢いが止まらず,両手で身体を支えて尻餅をつく格好となった。  ザザザザザー。  優志の頭を噴水が直撃している。優志は動かなかった。  ブライスは前に立ってじっと優志を見ていた。流れ落ちる水のせいでブライスの表情は見えない。しかし,自分を責めているのでも怒っているのでもないことは,水の向こうでゆらめくその立ち姿から伝わってきた。  水の中で,優志は頭を垂れた。嗚咽していた。  ブライスはひと言も声をかけず,ただじっと待っていた。いままで待ったのだから,ここで急かせる必要はない,と思っていた。焦らずに,優志の心が動くのを待とうと決めていた。  やがて優志は頭を上げブライスの姿を認め,のろのろと水の幕から出てきた。  ブライスは息をゆっくり吐いて前屈みになった。ずぶ濡れの優志の両腕に手をかけて立たせた。 「頭は冷えたか,優」  濡れそぼった頭に下ろしたその声同様に,優志を優しく抱きしめた。最初は緩く,徐々に何ものにも分けられないほど強く。  ブライスの肩に顔を埋めて,優志の口から再び嗚咽する声が漏れた。 「我慢するな…」 「…っ,うっ…,くっ……あ,ああーっ…,あああーっ……」  噛みしめた唇がわなわなと開いて,堰を切ったように出た声は噴水の水音を凌いだ。優志は両手をブライスの背中に回してぎりぎりとその肉を掴んだ。自分が長い間待っていたのはその痛みだったのではないかと,ブライスは思った。そうして優志の背中と頭を慰めるように撫でた。  優志の泣き声としゃくり上げる動きが収まった頃を見計らって,ブライスは優志の顔を両手で挟み込んだ。優志はしっかりと視線を合わせた。 優志を心底愛しい,とブライスは思った。
/102ページ

最初のコメントを投稿しよう!

151人が本棚に入れています
本棚に追加