151人が本棚に入れています
本棚に追加
「それは良かった。演習中,邪魔するやつはいなかっか」
ブライスが誰のことを言っているのかわかってしまい,つまりはブライスもその人物の「人となり」を知っているのかと,暗い気持ちになった。
―ああ,つい要らないことを言ってしまう…。ダメだな…
ブライスは手に持った袋を掲げて優志の注意を向けた。
「食べるか?ローストビーフのサンドイッチとライス・サラダと甘いものがある」
北向きの部屋の窓から,ローレルハーストの丘が暖かい黄金色に映えているのが見える。
紅茶の入ったマグを弄びながら部屋の中を振り返ると,優志はデザートのブラウニーをほおばっていた。
ブライスの予想に反して,優志はかなりの量を食べた。昼食を抜いて演習に取り組んでいたと言うから,ブライスが自分の分を差し出したら優志は遠慮がちに手を伸ばしてきたのだ。ブラウニーも味わって食べている。
「これ…,アセナが作ったブラウニーだよね」
「ああ,そうだ。週末大量に作って,エジプト人会の集まりに持って行ってるよ」
「エジプト人会…,そういうのあるんだ…」
「ああ,しかも春にコプト教徒が入ったから喜んでるよ」
「そう,新しい出会いがあるのはいいことだよね」
―特に親父が再婚した今はな…
ブライスは,母親の心境を慮るように話せるのが優志だけだと気づいて少し胸が詰まった。
「久しぶりにおいしいものが食べられた。ごめん,俺,ブライの分まで食べちゃって…」
全部食べ終えて,アイスティーも飲み干したようだ。
「ちゃんと食べられるようになって良かったよ。さっき噴水で抱き上げたときはあまりの軽さに驚いたからな」
ブライスは部屋に一つだけある机の前の椅子に座った。目の前に,ベッドに腰掛けた優志がいる。窓からの西日の明かりが入り,優志の左頬に険しい陰を生じさせている。
―もう,あの無邪気な少年らしさは,無くなってしまったんだな…
そう思う自分が嫌で,ブライスは優志の顔から目を逸らした。それを優志の声が追ってきた。
「…俺,ハーヴィッツ先生に会うのが…とても,とっても,嫌だったんだ」
絞り出すように発せられたその声は,細く震えていた。ブライスは無言のまま椅子から立ち上がってベッドに歩み寄った。ゆっくりと優志の左隣に腰をかけ,右肩に腕を回して上下にさすった。優志の震えは今は全身に広がっていた。
最初のコメントを投稿しよう!