第1章

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「これよ。年は取りたくないわね」 「ご免なさい」   シズさんは首を振り、いいえ、あなたのせいじゃないのよ、私、私よ、と首を竦める。 「要らないことばかり喋ってて、いつも、こうなの。気が付いた時には、いるべきところを過ぎて、いなくていいところに向かっちゃってるの。人生、よね」   彼女は困った顔で、それでも更に微笑もうとした。   シズさんは出口に行こうとして、さっと彼女に顔を寄せる。 「私、あなたに出会って、いい、人生、送れそうな、そんな気がしてきてるのよ」 「私に、出会って、ですか?」   そう、だって、あなたは……、といいかけ、慌ててドアのある辺りを見る。 「いけない、私って、要らないことしゃべり過ぎ。本当に降りられなくなっちゃう。じゃあね」   シズさんは微笑み、手を振って、出ていく。   ドアが閉まり、電車は走り出す。彼女は窓から手を振るシズさんに、手を振り返した。太陽の光の中、電車は走っていく。   どれ位電車は走ったのだろう。入り口から、よたよたと源蔵さんが乗り込んできた。百歳以上という風情が、辺りに漂う。   彼女は乗り込んできた源蔵さんに寄り、体を支え、椅子に座らせた。 「すまんな」 「いえ」 「で、どこまで話したかな?」 「えーっとー」  彼女が口を開こうとするのを、源蔵さんは遮り、まだ話してなかったか? と白髪と皺に覆われた顔を、向けてくる。  いえ、と彼女は返す。明治維新によって、わが国の近代化が進み、新しい交通機関の必要性が高まってきて、と。 「横浜から川崎町を経て大師河原町に至る横浜電車鉄道と、川崎大師と川崎町を結ぶ川崎電気鉄道の建設が各々計画され、その両社が明治31年2月25日に合併して、その翌年、関東では最古の歴史を有する京浜急行電鉄の母体、大師電気鉄道の発足をみたわけですよね?」 「そうか、そこまでは、話したか」  源蔵さんは一人頷いて、じゃあ、わしが、この電車が出来たのと同じ年に生まれて、その後、この電車会社に入って、電車を走らせていた、というのは、まだ、話してないな? と訊く。 「いえ、それも、聞いています。この電車会社の歴史も、一通り、全部、聞いてます」   源蔵さんは聞こえてないかのように、そうか、まだ、話してなかったか、と一人頷く。 「よし、わかった、話そう。いいか、よく、聞いておけ」   電車が走り出す。
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