第1章

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  彼女はふぅーと大きな息を一つして、微笑み、はい、わかりました。よく、聞いておきます、と応えた。   源蔵さんは昔を懐かしむ表情で、車窓を流れる景色に向き、その年の、その日は、晴れていたんだよ、と話し始める。 「……大勢の見物人が押し合いへし合いしていた。わしは、本当に、丁度、その時に生まれたんだよ」   源蔵さんは幸せそうに、目を閉じる。   彼女は窓から太陽を見上げ、眩しさに目を閉じた。      夕暮れの薄い明かりの中、電車の入ってくる音がする。   源蔵さんは、窓から流れる景色を見ている。   横で同じように彼女も景色に目をやっていた。  源蔵さんは今日も、話をしている。繰り返し、その話を。 「六郷河川畔に火力発電所を建設して、自給自足で電車を走らせていた京浜電気鉄道は、余った電力の供給をしたんだ。この余った電力を頼りに、川崎周辺にはどんどん工場が作られていって、京浜工業地帯の基盤が出来ていったんだよ。わかるか? それだけ京急っていうのは、この辺りを発展させてきたんだ」 「はい。わかります」  源蔵さんは満足そうに頷き、わかれば、それで、いい、白髪と皺に覆われた顔に、笑みをうかべる。 「そして、1937年、昭和12年7月7日、日中戦争が始まー」  彼女が口を開いたのを遮り、翌年8月に、陸上交通事業調整法、が施行され、京浜電気鉄道と湘南電気鉄道と湘南半島自動車は、1941年、昭和16年11月1日に合併し、  京浜電気鉄道を存続の会社名とした、……源蔵さんは言葉を続ける。その歴史を。自分と、京急の、歴史を。 「太平洋戦争に突入し、1945年、3月の東京大空襲を皮切りに、京浜地帯は沢山の空襲をを受け、会社も大きな被害を受けた。同年8月に負戦で終った戦争が残した傷跡は大き過ぎた。戦後、連合軍総指令部の民主化政策などの元、社内では、合併、統合前の、会社に戻すことを前提とした分離や再編成が起り……」  ……その結果、1947年、昭和22年12月26日に分裂が決まり、と彼女は、源蔵さんの話を、いや歴史を、引き取るようにように、続ける。
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