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シズさんは窓の外に目をやり、天気もいいわね、という。
「はい。とても」
僕も、もう一度、目をやる。
シズさんは目を僕に戻しながら、この後は、何処へ? と問う。
「川崎で一人お相手する待っていると 思うので、その人の相手をしながら、そ の後は金沢八景です」
「金沢八景ということは、あの、なんと言ったかしら、元女優さんだっという」
「江口、良美さん、です」
「そう、江口さんね。奇麗な人だったわね。今も、お奇麗?」
「はい」
「私、よく見てたのよ、あの人が出ていた映画。ファンだったの。あなた、見たことある?」
「はい」
「どの作品が好き? わたしはー」
そこに、乗客がまばらに入ってくる。
「あら、いけない。折り返しね。このままだと又終点に戻っちゃう。じゃあ」
立ち上がり、また、来週の、同じ時間に、とシズさんはいう。
「はい。わかりました」
シズさんは出口に行こうとして、立ち止まり、戻ってくる。
「でも、あなた、何だって、こんなことをしているの? 毎日、京急を、行ったり来たりして、何で?」
それは……、僕は口ごもる。
あら、あなた、今日は、約束よ、とシズさんは僕の隣に腰を降ろす。
「お話してくれるって。さあ、話して。でないと、電車、折り返しちゃうから。ねえ、早く」
僕は少し戸惑ったように、……は、はい、と頷く。
「約束よ。早く」
「はい。……実は、僕は、以前、ごく少しの人の前でなんですが、歌を唄っていました。その日も、やはり、歌を歌っていました。雨が降っていました。僕の大切な人が、僕の歌を聞きに、僕が唄っている場所を目指していました」
その途中で、その人は……、僕は一つ大きな息をした。
「この京急の線路の、とある踏切で、その途中で、動けなくなっているお爺さんを見ました。お爺さんは、心臓をとても悪くされていて、突然発作を起し、動けなくなっていたんです。その人は、直ぐそこまで電車が来ているにもかかわらず、お爺さんを助けようと、線路に……。それで」
僕は俯き、それで……、二年二か月前の、こと、です……、と声をどうにか絞り出す。
心配そうにシズさんは僕を覗き込んで、大丈夫、かしら……? 柔らかな声を漏らす。
はい、と僕は顔を上げる。大丈夫です、すいません、と微笑む。
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