ボクノカタチ

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現在、 2016 年 5 月。 僕はいつも思う。 僕は幸せか?不幸か?それとも普通なのか? その選別は難しい。人によって価値観が異なるからだ。 僕と初めて会った人から見れば、僕は幸せだろう。 僕を知る周りの人から見れば、僕は幸せだろう。 僕を詳細に知る人から見れば、答えは困難だろう。 僕が僕自身を見た時に思う事は、いつも同じ。あの頃から全く変わっていない。まだ、幸せか不幸かを選べていない。 選ぶのはこれからだ。 僕は母親から逃げた。支えてくれた周りの大人からも。 産んで、育ててもらって、そして逃げたのだ。 理由はいろいろだ。一つではないし、本当は一つだけなのかもしれない。 どちらにせよ、僕は母から逃げて、生まれ育った故郷を離れ今暮らしている。 僕は大学を卒業後、特定派遣の社員として、大阪で二週間の技術研修を受けた。その後、新潟で電気関係の仕事に就いた。 ボーナスも出たし、光熱費や家賃、保険料さえも派遣会社からの恩恵を受けられたので、貯蓄もできた。 その頃は、年に二回だけ帰省していた。会話もほとんどない。いや、しないようにしていた。 手紙も届く、だが読まない。違う!読めないのだ。 手紙の封筒を開けるのに二ヶ月はかかる。 内容は近況報告のようなものだ。だが、読むのが苦痛でしかたがない。 恵まれた環境でも、新潟は僕にとって退屈な日々の連続だった。仕事での成功や失敗を重ねる、それなりに大人として成長していると思ってはいても、全く満たされない毎日。 そんな時、健康診断に引っかかり再検査で肝臓に異常が見つかった。なるべくすぐに処置が必要で、その日のうちに、最悪の場合、長くは生きられず、死ぬこともあると宣告された。その先生の言葉に僕はこう答えた。 「はい、そうですか」 どんな顔をしていたのかは分からない。 ショックは受けていたと記憶している。 どうやら、遺伝性の病気で上手く症状を抑える事ができても一生完治しないようだ。医者から、家族に同じ病気の人はいないかと聞かれたが、全く知らない。僕は、あの人たちの何もしらない事に、その時になって初めて気がついた。 一週間後に詳しい検査結果の説明と治療を開始する旨、次の予約をして帰宅する。 一週間は長いようで短い。この時から子供の頃の出来事を思い出すようになっていた。
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