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すがすがしい葉山の海。
そこへ続く道にこぢんまりと建つ『カフェ・ユッカ』。
ここで働く秋野香織は、愛犬であるゴールデンレトリバーの茶々丸を連れていつものように出勤した。
「今日もおりこうさんにしててね」
日の光を浴びて、金色に毛を輝かす茶々丸を店の外に繋ぎ、水を入れた器を置く。
にへっと目を細めて舌を出す茶々丸に見送られ、香織は店へ入った。
店の奥から香ばしい匂いが漂ってくる。
シナモンロールだろうか。
店主のユカが焼いているのだ。
奥の調理場に向かってあいさつしようとした時、ふと、ケータイが震えた。
知らないアドレスのメールを着信している。
ちょっと迷ってから、恐る恐る開いてみる。
『突然のメール失礼致します。秋野香織様の心あたたまる作品を拝見させていただき――』
ガバッと画面から顔を上げる。
「こ……これは……」
仕事の依頼だった。
香織はカフェで働くかたわら、写真集や店のフリーペーパーを手作りで発行していた。
お金を取っていないので、副業と呼べるものでもない。
二十八歳で仕事を辞め、葉山に移り住んで五年が経つ。
ほぼ同時に始めたフリーペーパーと写真集作り。
徐々に評判は広まっていたが、こうやって依頼を受けるのは初めてだ。
「嬉しい……」
依頼者の名前は「橋本」とだけ記されていた。
「先輩と同じ名字……」
香織は一つ年上の橋本先輩を思い出すと同時に、胸の中をぎゅっとつかまれるような愛しさと、それに続く孤独感が広がっていくのを感じていた。
「やっぱり、今でも好きだな……先輩のこと」
*
学生の頃、写真サークルの合宿で葉山へ来た。
同じサークルの橋本先輩は、私にカメラのことや、写真の撮り方を、懇切丁寧に教えてくれた。
先輩を尊敬していたし、憧れもあった。
くしゃっと笑った顔が好きで、もっと一緒にいたいと思った。
もしも先輩に、私と同じ気持ちがあるのなら――
その先を考えないでもなかった。
でも、あの時先輩は、私に背を向けた。
浜辺でサークル仲間の一人が、私と付き合いたいと言ってきたあの時だ。
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