第三段 誘惑

9/10
前へ
/101ページ
次へ
座敷に上がるものだけではなく、酒を飲むついでに妓たちの姿をみて、慰みにする者たちなど様々だ。 ゆるゆると歩く沖田は、裏に抜けて壬生の方へと向かう。 提灯を手にはしていないから、島原を抜ければ、暗闇の中を歩くに等しい。時々すれ違う提灯の灯りと、雲を抜ける合間の月明かりで前を歩く男達がちらりと様子を伺いながら歩くのがわかる。 身なりは悪くない。壬生のあたりに住まう浪人者にしては、身ぎれいにしている方だ。 「……賑やかな日はどこまで行っても賑やかだなぁ」 一人、呟いた沖田は、少しも変わらず笑みを浮かべたままで歩く。 八木家の灯りが遠くに見えるあたりまでぶらりぶらりと歩いていくと、よくよく見知った家の近くでふっと前を歩く男達の姿見えなくなった。 弾みもつけずに走り出した沖田の草履の音が暗闇に響く。 このあたりで消えた、と思った場所まで近づいた沖田の目の前で何かがきらりと閃いた。 走り抜けてきた勢いは殺さずに、刀を抜いて峯に左手を添えた。刃のあたる音と振り下ろされた刀の重さを左腕で受け止める。 大きく開いた足はそのままに柔らかく膝を曲げれば自然と腰を落とした格好だ。 刀を押し返すことなく右腕で払った沖田は、そのまま下から斬り上げる。 「くっ!!」 薄暗い闇の中で間合いを見誤ったのか、相手は膝下を浅く斬られて後ろに下がった。 たいした腕ではない。 闇討ちに近い形で待ち受けられたにせよ、初太刀でその腕の程度はしれた。 二人居たはずなのに、もう一人の気配はすぐに離れている。 「僕が誰だかわかっているみたいですね?」 「……新選組の沖田だろう」 「ははっ。やっぱり知ってるんですね。じゃあ、加減しなくていいかな」
/101ページ

最初のコメントを投稿しよう!

80人が本棚に入れています
本棚に追加