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薫に対しては、日頃から物堅い言い様が染みついているが、なんとはなしに、どこかとげとげしい気がする。
もうすでに、さんざん食べた後なので、薫の腹も満ち足りた。
難しい話をするときは、こういう時のほうがいい
「それはそうですが、母上が驚いていらっしゃるように見えたものですから」
箸をおいて姿勢を正した薫は目の前に軽く手をついて食事の礼をいい、顔を上げた。
「ご馳走様でした。ところで、母上」
「わかっています」
ふと思い出す。幼いころからこの母の凛とした顔が好きだった。
江戸にいた頃、薫とお藤は今と同じように小さな一軒家に暮らしていた。
どこかの寮だった一軒家なのか、小さいといってもそれなりの広さがある。場所は、金王八幡の近くで静かな木立の中に家が点在するあたりだ。
塀も趣のある竹で作られたものや木肌を生かした背の高い塀で囲われた家が多く、お藤と薫の家はほかの寮よりも、庭が広かった。
よく、その庭先で薫は剣術の稽古に励んだものだ。
薫は父に会ったことはないが、その代わりに、父の使いだという者たちには何度も会っている。彼らは皆、腕が立ち、時には薫の稽古相手にもなってくれた。
幼い頃とは違う。
父の分も一人で背負ってくれた母のためにも、薫は一人前になりたかった。
「母上はどうして私に男とも、女ともつかない名をつけ、娘の姿をさせてきたのですか?」
「初めてですね。あなたがそれを聞くのは」
今まで聞かなかったことの方が不思議なくらいだ。
お藤も腹をくくってきている。
「あなたの父上のこともあります。それに、私があなたを武士にしたくなかったからです」
膝に置いた薫の手がぎゅっと拳を作った。
「でも、母上は武家の出ではありませんか」
「ええ。でも、わたくしは家を出た身。今は鞠屋の女将ですし、あなたはいずれ鞠屋を継ぐでもよし、独りで身をたてるでもかまいませんけれど、武士にはしたくありません」
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