第一段 鞠屋

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第一段 鞠屋

まだ店が開く前だと言うのに町を歩く娘におや、とすれ違う人々が思わず振り返った。このところ時折、見かける姿にどこの者かとちらほら囁かれる。 幼さの残る顔立ちと、筋の通った美しい姿勢と所作に、通りすがりの目が向く。 長い振袖が揺れるはずなのに、その娘の艶やかな柄が乱れることはない。 滑るような足取りが向かった先は京の町でも比較的落ち着いた格のある店が多いあたりである。 藍色に染め抜いた暖簾が風に揺れる店の脇の小道にはいり、裏手の木戸を開けた。 「おはようございます」 「薫はん。おはようさんどす」 下働きのお勝に声をかけた娘は朝餉の匂いの漂う台所で草履を脱いだ。 店の者も驚きはしない。いつものことと、草履を片付ける様を振り返りもせずに奥へと向かう。 結い上げてはいるが飾らない髪の後姿を見ると、ふっくらした鹿の子に目がいく。 「……なんでやろ。薫はん、可愛らしい姿なんやけど」 可愛いはずなのに、どこか艶めいているようにも見え、どこか危うい気もする。 だからこそ、ついつい、人の目は追ってしまう。 「不思議な子やね」 いつまでもそうしてはいられない。深く考えることもなく、お勝は膳の支度へと再び手を動かし始めた。 薫が姿を見せたなら、この店の主と薫の朝餉の合図である。 廊下の先で見えなくなった後姿は、足音もせずに奥へと向かう。最も奥まった部屋の前で薫は膝をついた。 「おはようございます」 娘にしては少し低い声に、誰かと問うことがなくてもその声でわかる。 おはいり、という声を聞いてからそっと上げた手を障子に添えた。 すすっと開いた障子の向こうには、十畳ほどの部屋にふわりと焚き染めた香がただよっている。 「母上、おはようございます。よい香りですね」 「おはよう、薫」 落ち着いた声音にはそれだけでも品が漂う。伸びた背中の美しさは薫と同じだ。 「今日のお稽古はもう?」
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