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善良でしとやかで、表裏がなかった。
すくすくと育つ若木のようにまっすぐに彼を見つめ、愛した。
確たる核がなく、自分らしさを持たなかった慎一郎を導くように彼に関わり、側にいることを望む彼女を、彼は突き放した。
僕はだめだよ。君を幸せにできない。
ふさわしい男がきっとどこかにいる。
君を待っている。
冷たくあしらって、遠ざけなければと思ったのだが、し切れなかった。
建前と本音は別だった。
他の男に渡せるのか?
いやだ。
秋良は僕の女だ。
素直になろう。
誰にも渡さない。
そう思ってしまったのだから仕方ない。
慎一郎は長い髪を切り、過去の自分を捨てるように惜しげもなく、目に見える重しを捨てた。そして初めて、秋良にひとりの男として向き合った。
君が好きだ。愛していると告げた。
彼女は歓喜の涙を浮かべて頷き、その姿は彼の胸を熱くした。
時を同じくして、万年助教授と言われ続けた彼も、やっと昇進できた。
動き出す時は何もかもが一気に押し寄せてくる。この流れに逆らわず、乗ってしまえばいい。
永遠のモラトリアムである慎一郎の、大海を漂うマンボウのような生活は、終止符を打ったのだった。
「――つまらん」
慎一郎の背中へ、石つぶてを放つように丸めたプリントをぼこんと投げつけたのは、慎一郎の同期で、悪友の一人・宗像一郎だった。
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