はつ恋キンモクセイ

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闇夜で彼女の唇が動いた。小さく小さく、確かにこう聞こえた。「シイタケ」と。 バチンと目が合った。彼女は目線を下にずらして薄茶色の髪を片耳にかけた。聞き間違いかと思いながら、僕は尋ねた。 「ごめんなさい。今、シイタケって言いました?」 椎名剛士(シイナタケシ)でシイタケ。下らない単純なあだ名。からかうように、カロ姉はいつも僕をそう呼んでいた。彼女の表情がパッと明るくなる。 「椎名剛士さんですよね? 叔母からお話聞いたことあります」 かっこいいあだ名じゃないから当時はやめてくれと何度も言ったものだったが、20年ぶりに聞くとなんだか愛おしく思えた。 「そう、そうです。シイタケですよ。菌類です」 目の前の彼女がカロ姉でないことは頭では理解しているのに、気持ちが追いつかない。 「やだ。ずいぶんご陽気な方なんですね」 敬語というところを除けば、彼女は記憶の中のカロ姉そのままだった。 「仕事柄ですかね。もう7年も営業畑にいるので」 歳を重ねて大人になった僕と違い、カロ姉は時間が止まったままここにいたかのように。
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