第1章

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「失恋したので生きるのが嫌になったので、その先の海に飛び込んだのです。でも私、昔学生時代水泳の選手だ ったのでつい泳いでしまって・・・」 笑いを堪えながら、服と横浜までの交通費を与えお帰り願った。妙子は二六歳、夏の海水浴シーズン前に、第二 子を身ごもっていた。この激動勤務により、切迫流産の危険に晒されたが、駐在所生活二年目の秋、早期の異常 分娩により無事二男を誕生させる事が出来た。「城ヶ島と諸磯」二人の息子は私達夫婦思い出の地三浦三崎出身。 昭和四十年三月五日、県立音楽堂で開かれた県下優良警察官の表彰式で「親切な駐在さん」として晴れの表彰 を受けた夫はこれでやっと労苦が認められ、この年は私達の結婚生活二十三年間で、最良の年だった。 京急上大岡郊外の実家近くに念願の新居が完成した。 妙子は京急入社以来新婚時代を通して十年の歳月を過ごした縁ある思い出の地、三崎を後に横浜へUターンした。 夫は昇格して、川崎署防犯課へ栄転し、我が家の絶好期を迎え幸せ一杯に平穏な日々が流れていった。横浜へ引っ越しても、約束の隆からの年賀状は毎年近況報告を交わしていた。前年の年賀には父親代わりに県会議員に担がれ立候補したと知らされ、翌年の年賀状は次点落選と記され、銀座に会社を設立。会社の電話番号が何故か目に止まった。我が家では長男が小学一年生に入学し、二男が入園した幼稚園母の会、三役会長になって主婦業の傍ら、京急上大岡自動車学校で運転免許を習得した妙子は愛車のM三六〇を乗り回していた。 小学校PTA行事のバス旅行があり、NHK見学後皇居前広場へ、駐車場脇の電話ボックスから思いきって隆の 会社へ電話をかけた。社長に取り次がれあの懐かしい声。 「直ぐ近くですよ、一寸寄りませんか」一瞬迷ったが嬉しさがこみ上げ胸がドキドキ・・・「お久しぶりです」「十 年振りお変わりありませんね。夜の銀座ならクラブでもどこでもご案内出来たのに・・」裏通りの料理屋に入る と、準備中の女性が奥から出て来た。「ママ、こちらの方は私の初恋の人です。」と紹介された。この言葉に妙子 はビックリ、 心の中で「初恋だったの」呟いた。毎年お互い近況報告はあっても積もる話に「アッ!もう時間」今は門限はな いが家庭の主婦「奥様ってどんな方なの?」「社長令嬢。親が決めたよ」「そうだったの」 やはり隆の言葉に嘘がなかったことに安堵する自分がいた。
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