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神奈川新町で
最後に見た彼女の顔には、諦めにも似た微笑みがあり、酔ったせいか感情からか、頬は薄紅色に染まっていた。
ほんの一瞬、俺は再び列車の音と上品な香りに包まれて、心地良い眠りに落ちていた様だ。
いつの間にか止まっていた列車が、再び動き出した振動に、俺が眼を覚ますと、彼女と蘭の花束は消えていた。
彼女は、戸部駅で降りていた様だ。
微かに良い香りが残っていた。
雲間から射し込む陽の光が、ピンクと紫のグラデーションを造り出していた。
神奈川新町まで、車両には俺一人だった。
ふと気付くと、列車のドアが閉まりかけていた。
すんでのところで俺は、車両を飛び降りた。危うく降りそこなうところだった様だ。
「フゥッ」
思わずため息が漏れた。
動き始めた列車を、俺はぼんやりと眺めていた。
あの上品な香りは、辺りにはもう無かった。
目の前をゆっくりと通り過ぎて行く、赤地に白いストライプの入った車両の、誰もいなくなった床に、俺は眼を奪われた。
そこには、彼女の様に、美しくも切なく悲しい蘭の花が一輪、落ちていた。
俺はしばらくホームで電車を見送っていた。
いつの間にか、すっかり陽も登り、明るくなって来た街へと、俺は改札を出た。
何故か、とても幸せな気持ちだった。
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