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第一章 1982年
その日の放課後、沙耶はひとりでいつもの丘に来ていた。去年から残っている枯れ草の中から、勢いよく背を伸ばしたススキの若草色が、陽の光に反射して青さを増している。
沙耶はススキの茂みを抜け、草原に出ると、オオイヌフグリやぺんぺん草の中からタンポポを見つけては摘みながら歩いていった。遠くで雲雀の声がする。
雲雀は空高くまで上がり、その行き先を見上げると、太陽の眩しい光に、沙耶は思わず目を閉じた。
雲雀はさえずりながら急降下し、草深く潜っていった。沙耶はそこに雲雀の巣があるのだと思った。
今日こそ、雲雀の赤ちゃんを見つけてみよう。
雲雀が舞い降りた地点に駆け寄った。探しても、探しても鳥の巣らしき物は見つからない。
すると、遠くに見えていた男の子が寄ってきて言った。
「雲雀はそこにいないよ」
「どうして?」
「降りたところから、何メートルも遠くに行くんだよ。草の中で急いで動くから、行き先は誰にもわからないんだ」
「そうなの」
沙耶は怒られたような気持ちになって、思わずがっかりした顔になった。
男の子は言った。
「雲雀だって、自分の家を見つけれれたくないのさ。君みたいないい人ばっかりが来るわけじゃないから」
「そっか」
男の子が怒っていたんじゃないんだと思うと、少し気持ちが落ち着いた。
「なんていう名前なの?」
男の子は、笑顔になって聞いた。
「サヤ」
「どういう字?」
「サンズイの沙に、耶は難しいの」
沙耶はポケットに入れていたサインペンで、自分の左手に名前を書いた。
「きれいな名前だね。僕は、テツト」
男の子は沙耶のペンを借りて、自分の左手に「哲斗」と書いた。沙耶は初めて見る漢字を必死で覚えようとした。
「沙耶ちゃん家は、ここから近いの?」
「うん。すぐ近くなの。いつもここに来て、おたまじゃくしを見たり、花を摘みに来てるの」
「なら、小学校は富岡第三だね」
「うん。今3年生」
「僕は逗子なんだ。今は小6。今日はおばあさんの家に来たんだよ。おばあさんの家が沙耶ちゃん家の近くなのかもな」
そう言いながら、哲斗は足元のタンポポを何本か摘んだ。その中に、綿帽子も入れた。
「はい」
タンポポと綿帽子の花束を手渡されて、沙耶はドキっとした。
「ありがとう」
「吹いてごらんよ」
素直に綿帽子に息を吹きかけると、白い綿は青い空に舞い、春風に乗って流れていった。
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