Chapter 1

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 僕は靴を履きながら、ふと自分が仕事用の革靴を履いていることに気付いた。いつもの感じで玄関に来たので、つい間違って仕事用の革靴を履いてしまったのだろう。どうせ仕事になんて行く訳ではないのだから、この靴は履かなくて良いな…。  僕はくたくたになっている革靴を靴箱にしまって、かなり前に買って、使っていなかったスニーカーを履いた。あまり履かなかったので、踵がまだしっかりとしている。 履き慣れない違和感を覚えながらも、僕は立ち上がってトントンと足を突いた。 「行くか…」  外の暑さが伝わって温かくなったドアノブをひねって外に出ると、眩しい日差しが目に差し込んできた。一瞬、眩しさで視界が真っ白になって、思わず後ずさる。オフィスワークばかりしていると、こういう眩しさに馴れるのに時間がかかる。現代人によくある話だ。  しばらくして目が馴れると、あたりの木々から蝉の声が鳴り響いているのがはっきりと聞こえてきた。と同時に、ぬるっとした暑さがじわじわと体をめぐった。額からは汗がどっと出る。僕は汗を拭った。  昨夜はうるさかった蝉の声は、一晩明けると、なんだか『夏』といった感じで、案外良いものに感じるのは、少しは気持ちが楽になったからだろうか。  2階の廊下を進み、突き当たりの階段を降りると、郵便局の配達員が、ポストに手紙を投函しているのが見えた。7月も終わり頃なのに、少し厚着なのでは?と思う服装をした配達員は、いそいそと封筒を見ては、部屋番号を確認して投函していく。その中で、僕のポストにも何かが入ったのが分かった。  鞄の中を確認して振り返った配達員と、気になって怪訝そうに見つめていた僕の視線が合う。すると彼は、ニコッと笑い「おはようございます」とヘルメットのつばをクイっと上げて僕に挨拶した。僕も急いで応える。 「ああ、おはようございます。今日は暑くないですか?」 「いやあ、毎年こんなもんですよ。早く終わらせて、かき氷でも食べたいですね。では」  言い終わってから気づくが、この質問は彼には愚問だったようだ。年季の入った鞄から、彼は長いことこの仕事をしているのが判る。冷房の効いたオフィスに一日中座ってパソコンを触っていた僕とは違い、この暑は彼にとって毎年のことなのだろう。
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