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結城は、柔道部の中でもがっしりした体躯で、県大会でもベストエイトに残るくらいの腕だ。結城がちらっと永瀬を見たとき、永瀬もうなずいていた。永瀬は、竹刀と一緒に剣道形のための木刀も持っていた。酔っ払いひとりくらいは何とかなる。三人で掛かってきたら、その時は破れかぶれの気持ちだった。
しかし意に反して、あとの二人は掛かってはこなかった。正確にはその必要がないくらい、その酔っ払いは強かったということだ。永瀬と結城が、パンチを受けて、車両の床に伸びていたとき、軍靴のような靴で、永瀬の右手が踏みつけられ、脱臼した名残が今も小指に残っていた。結城と共に、情けなく浦賀駅に降り立ち、それでも悔し紛れに、女性が逃げられたことに、二人は満足する会話をしたと思う。二人のほろ苦い思い出でもある。
「浦賀の渡し」は、浦賀湾と呼ばれる入江となった両岸の西浦賀と東浦賀を結ぶための航路だった。定員五、六人の小型のポンポン船が行き来していた。楔形の両岸を結ぶ起点にはちょうど浦賀駅があり、向こう岸の姿がはっきり認められるくらいの距離で、わずか三分程度の航路だった。
「料金大人二百円」の立て看板が据えられていた。昔より、ずっと小奇麗に整備された船着き場となっていた。少しは観光客もあるのだろうか。料金は当時の倍くらいだろうか。自転車も五十円の表記があった。自転車ごと乗船できるシステムは昔通りだった。東西のどちらからでも、向こう岸に行くには、バスを浦賀で乗り継ぐより、割安なはずだった。
渡しの乗船場に、かつては無かった二階建ての瀟洒な建物に目をとめた。一階の明るいガラスドアにぶら下がった小さな看板に、「時の船」とポップ調の字体で書かれていた。
ドアを開けると、カランカランとカウベルが来客を告げ、そして二階へ導くような金属製の螺旋階段が待ち受けていた。上っていくと二階は一面が板張りのフロアで、ゆとりを持って、テーブルが五つほど並べられている。そして窓の外にも、出入りが出来る広いテラスがあり、そこにも二つのテーブルが据えられていた。しかし店内は無人だった。
キッチンから大きな男がいきなり現れた。
「久しぶりだな。永瀬」
「……結城なのか、ずいぶんと太ったな」
「フミちゃんから電話があった。校庭で出会ったんだって。あの娘は、うちの遠い親戚なんだ。学校帰りにここで一杯飲んだりする客でもある」
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