第1章

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 寒気がした。毛布を被っていたが、手探りでここは砂浜だと永瀬は思った。どうやら暗闇の砂浜に寝そべっているようだ。夜空には満天の星々が煌いている。都会よりずっと近くに。  永瀬は、まだかなり酔っているなと自覚していた。「なぜ」、「どこに」、なんとか上半身を起こしながら、暗闇の中で、波音のする方角に茫洋と横たわっている海の姿を、しばらく凝視していた。  不意に永瀬は、ここは観音崎の海岸だと確信した。しかし「どこ」は理解できたが、「なぜ」が解消できないままだったが。  後ろから、誰か砂を踏みしめて近寄る気配がした。懐中電灯の灯りが、砂浜に揺れていた。 「永瀬さん、大丈夫ですか。風邪ひいちゃいますよ」  振り返ると、あの先生だった。 「保健室の先生か」 「ちゃんと名前ありますよ。酔って忘れちゃったんですか。お店出てからのこと覚えてないんでしょう。タクシーに皆でやっと乗せて、私が浦賀駅まで送ったんですよ。最終電車に間に合うからって言い張るもんだから。結城さんご夫妻、心配してたんですよ。泊まれっていうのに」 「それでどうなったんだ。なぜここにいるんだろう」 「浦賀駅の手前で、永瀬さんが急に観音崎だって言い出して、何が観音崎なんだかわからないし、とにかく観音崎だって運転手さんに言うもんだから。仕方なしにUターンして。観音崎に着いたら、海岸どんどん歩いて、ここで座って待つんだって言ってたら、寝ちゃうし。全然覚えてないんですか」 「すまない。まだひどい酔いだな。先生もここにいたのか」 「まさか、いるわけないでしょ。嫁入り前なんですからね、なんてね。永瀬さん置いて、タクシーで家に戻って、その毛布持ってきてあげたんだから。感謝してくださいね。それから私はまた自宅に戻って、ちゃんと寝ましたよ。少し心配だから、また来てみただけです。永瀬先生にお世話になったから、その恩返しみたいなものかな」 「すまない」 「すまないだけですね。自販機あるから、コーヒーでも買ってきましょうか」 「すまない」 「また、すまないですか。しょうがないな」  コーヒーを買って、先生が戻ってくる間に、永瀬は先生のフルネームをなんとか思い出していた。そして、暗闇に目を凝らしながら、海を見つめ続け、波音を聞き続けていた。そしてここにいる自分の理由が、ゆっくりとだが、疑うことなく四肢に広がっていくのだった。
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