第2章 2節 生きた剣士

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「そうでもないんだ。脂肪がついた腹などの柔らかい部位では、叩きつけるような斬り方ではうまく斬れんのだよ。こうした部位では、刀の先・切先を滑らせて引きながら、鋭く刃を使うことで肉を斬り裂ける。人間を斬るには、刃筋だけでなく斬る部位によって刀の使い方そのものが違う。人間には、人間の斬り方というものがあるんだ。  これに関連したことを言えば、一刀流の開祖・伊藤一刀斎の弟子に小野善鬼という男が居たが、一刀斎が教えたのはたった一つ。《斬り覚えよ》それだけだ」  公恵は、その言葉に寒気がした。 「……それは。そのままの意味ですか」 「そうだ。善鬼は各地を走り回り、盗賊・悪党を斬り回った。人を斬って、剣というものが分かってきたそうだ。習うより馴れろ。正に究極の実戦稽古だ」  勲は言葉を切って、写真を見た。 「男性と異なり女性特有のいみを帯びた体型は皮下脂肪によるものだが、女性の肉体は、脂肪が多く柔らかいので斬るのは難しいと思う。  もし、これが偶然の結果でなければ……。女性を、人を斬るという点は憎悪すべきだが、技だけを見るならこの傷を付けた人間は、まさに剣士だな。現代において人を斬る技というものは不要となり、人を斬る剣士は幕末や明治の内戦を最後にすでに絶滅したと言って良いだろう。  化石として発見される生物や植物は現代では絶滅してしまっている存在だが、現在でもほとんど姿を変えることなく生息している生物を《生きた化石》と呼ぶが、化石ちなんで言うなら、この傷をつけた者は《生きた剣士》とでも言うべきかも知れないな」  公恵は、写真の傷を見た。その鋭利な傷を。  脳裏にあの夜の出来事が過る。  牙を生やした男と、一切の怯みなく刀を扱った青年の姿を。 「生きた剣士……」  その言葉を公恵は口にし自分の思いとは裏腹に、状況から判断して志水洋美の背を斬ったのは青年しか居なという現実を打ちのめされた。あの夜何が起こっていたのか真相は分からないが、青年の刀が奪われて志水洋美が斬られたという可能性も考えた。  だが、勲の話を聞く限り剣士でなかれば刀剣は使えない。あの牙を生やした男は怪しい。公恵は剣に関する知識は無いが、勲の談義を聞き、あの男が青年の刀を一時的に奪って使ったとしても、剣を使えるという剣士としても威厳を感じなかった。
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