第1章

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北陸道を越後から越中に向かうには日本海の海岸線を行くことになる。越後青海宿を西に向かうと道は日本海に落ち込む断崖絶壁の足元の波打ち際を通ることになる。断崖絶壁には所々に穴が穿ってあり、旅人は波が引いたタイミングに、今、入っている穴を出て、次の穴に移る。それを繰り返して、この難所を越えねばならなかった。しかし、穴は人一人がやっと入れる大きさしか無かった。越後側からと越中側からと同時に一つの穴に入ろうとして、入れなかった旅人が波にさらわれる悲劇が繰り返された。この難所をいつしか親不知子不知と呼ぶようになった。 越中薬売りの与吉は越後からの帰路、親不知子不知にさしかかった。目の前に打ち寄せる荒波が断崖絶壁にあたって砕け散るのを見て身がすくんだ。 十七年前、母親と二人でこの難所を越えようとして、与吉は波にさらわれた。気づいた時には浜に打ち上げられていたが、幼い与吉には故郷に帰るすべも無く、旅の薬売りに拾われて育てられた。 与吉の母親も、よもや息子が生きているとは思いもよらぬことだ。そんな嫌な思い出がある親不知子不知だった。 与吉は、断崖絶壁の穴に飛び込んだ。そして、波が引くのを確かめると、さらに次の穴に向かって走った。そして、人が入っていないのを見て、その穴の中に飛び込んだ。これを何度も繰り返し、あと少しで難所を抜けられるという時に、与吉は、思わず、 「アッ!」 と、叫んだ。次の穴の中には、ぼろ裂のような笈摺を着た旅の六部の老婆が激しい波の恐ろしさに震えてた。与吉は前の穴に戻ろうと考えたが、既に大波が目の前に迫っていた。戻れば与吉が波に呑まれてしまう。 与吉は、 「すまん!許してくれ!」 と叫ぶと、その老婆を穴から押し出して、自分が代わりに穴に入った。 「ウォー」 老婆は低く呻くと、与吉の目の前で波にさらわれて行った。
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