第1章

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京急の終点、三崎口で電車を降りると駅前にはバスのロータリーがある。 そこから京急バスに乗り、シーボニアに向かう途中、久里浜からの海岸沿いの道路と合流するところに「引橋」という交差点がある。 その地名は「来々軒」という美味しい中華料理屋さんが昨年の暮れまで40年も開業していた場所なので知ってはいたけれど、初めて北原白秋の歌碑をそこに見つけたときに、「ひきはし」という言葉に隠された歴史を知って、その切ない響きの意味を考えるようになった。 「引橋の茶屋のほとりをいそぐとき ほとほと秋は 過ぎぬと思いぬ」 1516年、三浦一族が北条早雲の大群を相手に3年に渡り壮絶な戦いをして、橋を引いてその侵入を防いだとされる場所。。。それが引橋。 三浦一族が全滅したのは今からちょうど500年前のことだった。 そして北原白秋はその地名からこの句を詠んだ。 三浦半島の太陽の光、海からの強い生気を受けて、「地上に湧き上がる新鮮な野菜や溌剌とし鱗を翻す海の魚類・・・」と「雲母集」で述べているとおり、ここで生きなおすことになった白秋。 調べてみると、人妻との悲恋の果ての思いつめた苦しさから逃げるようにやってきた三浦の三崎での生活が、白秋に生きる力と転機をもたらしたらしい。 白秋を癒した光を全身に浴びながら、シーボニア入口でバスを降りて、油壺の少し先まで草いきれのする坂道をくだると、シーボニアや逗子マリーナのような派手さはない、そして油壺ヨットクラブのような整備されたハーバーもない、ちょうど京急マリーナの向かい側に、「諸磯ヨットオーナーズクラブ」というヨットクラブが入り江の奥に清廉な佇まいを現す。 この7年くらい、学生時代のヨット部の仲間と、先輩に譲り受けた古いフランスのベネトウ社のヨットを、大切にメンテしながら、古いものはいくらでも直して乗れるねなんて言いながら、この美しい入り江でマホガニーのヨットを大事にした輝くような日々。 それが当然に終わるなんて、考えてもいなかった。 当たり前と思っていたことは、ある日当然当たり前ではなくなるし、なんでもない普通の、しかし宝物のように幸せな日々は、急になくなってしまうものなのだ。 来々軒はもう今はないけれど、京急マリーナには新しく話題のイタリアンが出来て、にぎわっている。そして白秋を再生させた光も、海からの風も変わらないままここにある。
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