第1章

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 今まででも、こちらを見ていた彼女に興味があれば、待ち伏せて、知り合えばよかった。  そんなんできないよ?  彼女はピアノの音にしか興味がなかったから。  その向こうのプレイヤーに興味があれば、彼女からアクションを起こせたはず。  いまここで、別れたら、ただの顔見知り程度のまま。  どうしたらいいんだろうか。  いつもここで彼女をつなぎ止めるのは、ピアノの奏で。 「弾こうか? 見に来る?」  顔にカッと熱が出た。瞳が熱くて潤む。  ひととき、周りの空気の流れが止まり、息ができなくなる。  彼女が断った時、よかったと思った。  体の力が抜け、呼吸ができるようになった。  彼女の姿が見えなくなるまで見送る。  いつか、彼女が俺に自宅を知られてもいいと家まで送り届けられるくらいには知り合いたい。 「馬っ鹿」  もっと、気の利いたことが言えなかったか。  家に入り、腕時計を外し、携帯端末を確認。 「げ、嘘」  違う、連絡先とか、そもそも、名前! なんてだ? どう思い出しても彼女の名前が出てこない。 「も、なんだよ」  こんなの、ない。  ホント、初めて。   「ホント、こんなのない」  なぜか、ぶるっと、悪寒。  なんか、いやな感じ。不安。
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