第1章

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 彼女の言い分もわかる。母親との摩擦を避けるために彼女は自ら行動してくれている。結婚すれば俺だけでなく彼女も失った部分があるのだ。 「でも……あなたでよかったと思ってる。周りの人を見ると、もっといいカップルもいるけど……私はあなたでよかったと本当に思ってる」  彼女の一言に思わず涙ぐむ。こいつはこいつできちんと考えてくれていたのだ。俺のことを俺以上に、思ってくれている。 「ありがとう」  俺は小声でいって続けた。 「出荷は先延ばしだ」 「……出荷?」 「特に意味はないよ」そういって俺は笑った。  少しくらい大目にみよう。俺だって年を取って白髪が出ており昔ほど男前ではない、お互い様だ。  俺は謝りながらこの退屈で素晴らしい世界に魅力を感じていた。俺は牙を盗られたのではない、牙のない世界に身を置く安住の地に辿り着いたのだと思うことにした。 「ねえ、太一寝てるね」彼女は蠱惑的な瞳で俺を見た。「ねえ、渋滞だしさ、ちょっとだけ……」 「いいのか?車の中だぞ」 「だって……ホテルの中には行けないでしょ」彼女は俺の胸の中にいた。すでにサイドについているアームレストを上げられている。「家に帰ってもお母さんがいるしさ…」
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