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目が覚めてぼんやりと天井を見上げていると、一人の女性が視界に入ってきた。
彼女は横になっている僕の顔を覗きこみ、視線が絡むなり大きく目を見開く。その目にあっという間に涙が溜まって、彼女の頬を伝った。
「おはよう、ここ、どこだかわかる?」
「……いえ」
「病院なの。待ってて、今お医者さん呼んでくるから」
話によると、僕は旅行先で事故に遭ったらしい。緊急搬送され死んでもおかしくない状態となったが、五日間眠った末に奇跡的に目が覚めた、ということだそうだ。しかし怪我は酷く、僕はしばらく入院することになった。
僕には事故に遭った瞬間の記憶がない。あまりに突然で、事態を認識する暇もなかったのだろうか。事故に遭ったときの記憶もそうだが、何か大切なことを一緒に忘れてしまっているような気がしてならない。
大事な何かを失ったような落ち着きのなさが、常に意識の隅にあった。
「また何か考え込んでいるの?」
「上野さん」
目が覚めた時に一緒にいた彼女は、上野ミコトという大学生だそうだ。僕の巻き込まれた事故のとばっちりを食らったらしく、彼女も腕に包帯を巻いていた。世話好きなのか、同じ事故に遭った仲間意識でも生じたのか、毎日僕の見舞いに来ている。
「別に毎日来なくても、上野さんだって暇じゃないだろうにと考えていたところだ」
「暇じゃなくても来るよ。だってきみ、目が覚めてからご両親が来ただけで、私以外の誰もお見舞いに来ないじゃない」
返す言葉もなかった。違う、友人がいないわけじゃない。事故に遭ったのが旅行先だったため、僕の活動範囲から大きく離れているのだ。どうやら僕は、奇跡の生還を果たしたのだとわかっても、遠くまで見舞いに来てはくれない薄情者ばかりを友人にしてしまったようだ。
おまけに事故の衝撃で携帯端末はものの見事に粉砕されていた。中のデータのほとんどはオンライン上にバックアップがあるためショックは少ないが、そこにアクセスするための端末がない。僕が覚えているのは実家の電話番号位だった。
上野さんはそんな僕を憐れに思っているのだろう。旅行先で事故に遭い、親以外見舞いに来ない男を可哀想に思っているに違いない。滅多に訪れない病院に、面白半分に来ているだけかもしれない。
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