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階段から落ちたらしい。ミコトはぐったりとしており、打ち所が悪かったのか意識がないのがわかった。抱え起こそうにも車椅子が邪魔で、思うように動かない足も邪魔だ。倒れるように車椅子から降りると、床を手で這いミコトに近づく。
弱いながらも呼吸はあった。生きている。けれどまだ安心はできなかった。呼んだはずの医者はまだ来ない。下手に動かすわけにもいかず、何もできない事実だけが目の前に突きつけられた。
「このままだと、この子は死んでしまうね」
唐突に、真横から声がした。驚いて隣を見ると、小学校低学年くらいの少年がしゃがみ込んでいる。彼は優しくミコトの頭に触れ、「死んでしまうね」と繰り返した。
突然やって来て、何を不謹慎で縁起でもないことを言っているんだ。睨みつけるが、少年は気にすることなく僕の顔を覗き込んだ。
「ぼくは神様の使いで通りかかった天使なんだ。ぼくがここに居合わせたということは、きみたちは助ける意味のある子なんだね。助けてほしい?」
「……助けてほしい」
頭のおかしな子供だ、とは思わなかった。不思議と彼の言葉が疑う余地もない、真実なのだと確信できる。彼は僕の返事に嬉しそうに笑みをこぼした。
「いいよ。でもね、代償があるんだ。それでもいい?」
「何だって構わない。ミコトが助かるなら」
何故なら彼女は、大学に入って親しくなった、とても大事な人なのだ。この旅行だって僕が事故に遭わなければ。
……どうして僕は、ミコトが偽物だと思ったのだろう。
「命を助ける代わりに、この子は一番大事な人を忘れてしまうよ。これがどういう意味かわかるかい?」
・・・・・・
「気がついた? おはよう。今医者を呼んでくるよ。きみは階段から落ちて、危ない所だったんだ」
目が覚めて不思議そうに周囲を見回す彼女にそう教えると、上野ミコトは慌てた様子で病室を出ようとした僕を引き留めた。
「あのっ、すみません、あなたは?」
「あぁ。僕は峰村ケンヤ」
「はじめまして……私は、上野ミコトです」
上野ミコトのことを忘れてもらえたよかった。
彼女の言葉が今なら少し、理解できる。あの少年は、一番大事な人を忘れると言った。もしミコトの中で僕が一番大事な人でなければ、彼女は僕のことを覚えていた。けれど忘れているのなら、それは相手にとって一番大事な人であった、ということになる。
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