第1章 海の見える家

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私の母は縁の薄い人だった。両親には早くに死にわかれ親せきとのつきあいも少なく、兄弟もいない。おまけに結婚生活も3年ほどで破綻した。だから、私には、父の記憶は全くないし、どんな人だったのか、今何をしているのか、そもそも生きているのかどうかも知らない。そして私も、高校を卒業すると、母のもとを離れていった。 子どもの頃の記憶をたどると母はいつも疲れたような顔をしていて、笑った姿もあまり見たことがない。思春期を過ぎると、母に反発し、次第に会話をすることも少なくなっていった。ただ、自分も年を重ねるにつれ、母に対する気持ちが変化していった。自分とは別個の一人の女性として母をみるようになったのだ。当然のことなのだが、母にも母としての人生の外に、一人の女性としての人生がある。そうしてみると、淋しいだけと思っていた母にも、輝いている瞬間もあったのかもしれない。 4歳か5歳頃のかすかな記憶がある。前後の記憶は残っていないのに、まるでその瞬間だけが、鮮明に残っている。私は、母に手をひかれ、植え込みに囲まれた道を歩いている。その道はずっと続いていて、植え込みの向こうに、ときどき海が目の前に広がる。私はとびはねながら、「海だよ、ねえ、海だよ」と叫んでいたように思う。やがて、母と私は大きな家にたどりついた。その家からは海がとてもよく見え、私はここが自分の家になればよいのに…と思った。さらに歩いて行くと、もう一つの家があって、そこからは海だけでなく、小さな白い灯台もみえた。
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