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(2)
なかなか寝つけないまま、桜は目が冴えてしまった。
スマホの画面を点す。時間はまだ午前4時を回ったところだ。
桜はむくりとベッドから起き上がると、窓のカーテンを持ち上げ外を覗いてみた。
ガラスを通して冷やりとした空気が顔に流れてくる。呼気が白い雲を描く。
暗い空の下、甍の波がうねうねと黒い背中を光らせて遠くまで続いているのが見えた。
その海原の中に、すっと幽かな陰がひとつ浮かんでいる。
眼が暗闇に慣れてくると、桜はそれが大仏の姿だというのに気づいた。
――“だいぶっつぁん”、か……
次第に白む薄明の空を背景に佇む黒い影像をぼんやりと眺めながら、桜は心の重しをこのきりりとした朝の空気が持ち去っていってくれることを願った。
* * *
「いってきます」
キッチンで片付けをしていた絵笑子に、桜は出かける声がけをした。
泰秀は先に出勤してしまっている。
「だいじょうぶ? 桜ちゃん。きょう初登校よね?」
心配をした絵笑子が廊下に出て桜の背に声をかけた。
桜が靴を履きながら、少し首を傾げ
「うんっ。きょうは始業式だけだし。へーき」
そうは言ったものの、心底では不安でいっぱいだ。
もともと人見知りな性質の上、ここしばらくの出来事で自分の環境が急激に変化し、心が疲弊しているのは自覚している。
けれど、そんな桜を時間は待ってはくれない。新しい年は明けたし、新学期は否が応でも目の前に迫ってくる。
自分の気持ちなど、この世界は気にしてはくれないのだ。
見送る絵笑子に挨拶をし、桜は玄関のドアをゆっくりと閉めた。
朝の澄んだ空気が肺を満たし、気が引き締まるのを感じる。
バス停への道を歩きながら、桜は母の言葉を思い出していた。
“どうしようもないときは、運命に身を任せるの”
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