#3 マイ・フェア・レディ

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(1)  父の家に引っ越してはきたものの、急なことだったので桜には最初から自分の部屋が用意されていたわけではなかった。  泰秀は、桜のために急場で自分が書斎や趣味の部屋としていた場所を提供した。  壁の本棚から溢れる映画関係の本。劇場で集めたパンフレット。CD。LPレコード。四畳半ほどのスペースにはまだ父の蒐集したものがあちこちに山積みされている。桜が来たときには、かろうじてベッドが肩身狭く設置されているという有様だった。 「すぐに片付けるから、それまで我慢しててくれな」  そう父は桜に告げたが、なかなか時間もとれず、進みはゆっくりだった。  桜が持ち込んだ荷解きもまだ不充分だ。多くは外のレンタル倉庫に詰め込んだものの、服や身近に置いておきたいものは携行してきた。それだけでもけっこうな嵩になる。  その中には、母の遺品も多く含まれていた。  時折父が不在のときは、絵笑子が片付けを手伝ってくれた。   桜は、特に絵笑子に対して特別な感情は抱いてはいない。  けれども、気を使っているのはむしろ絵笑子のほうのような気がした。  こうして何かと桜の世話を焼くのも、その気遣いの現れだったのだろう。 「あたしにばかりかまってると、絵笑子さんの時間がなくなっちゃうよ」  桜はそんなふうに何気なく、無理に心配りをしなくてもいいと絵笑子を諭したが、 「だいじょうぶ。桜ちゃんが来てくれて、私、娘ができたみたいで嬉しいのよ」  と応え、桜もそれ以上は言及できなかった。  果たして、これが絵笑子の本心なのだろうか。  だが、甲斐甲斐しい絵笑子に対し、桜も次第に心を許し始めているのも事実だった。  ある日、桜は絵笑子に訊ねてみたことがある。 「ね、絵笑子さん――どうして、まだお父さんとは籍を入れてないの?」  桜の無邪気な質問に、絵笑子はただ頬笑みを返すだけだった。
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