#3 マイ・フェア・レディ

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(3) 「どう? 最近、映画観てる?」  ふだんは幸生の都合にも気を使いメッセージだけでやりとりをするものの、今夜はなんとなく声が聞きたくなり無料アプリの通話機能を使ってアクセスした。  通話が始まって開口一番、幸生から届いた声がこれだった。 「あ、うん…… じつは、いろいろバタバタもしてたから、こっちに来てからまだ映画観に行ってないの」  何せ、勉強しようにもまだ机に充分なスペースも確保されていない。  今の自習場所はダイニングのテーブルだった。  そんな状況を鑑みるたび、桜の心は「早く部屋を片付けなくちゃ」との思いを強くするのだった。 「なンだよ、正月映画だっていろいろあるのに……桜と話ができるかと思って、楽しみにしてたんだけどな」 「……ごめん」  幸生が別に怒ってないのは承知してる。  けれど、同じ記憶を共有できないでいることを残念がっているのはひしひしと伝わってきていた。  去年までは、一緒に映画を観に行って、いっぱい話すこともできたのに。  遠いのは、物理的な距離だけでないことを桜は悟った。  それでも幸生は優しげに返してくれた。 「映画、観ろよ」 「うん」と桜は応えた。  ほんの短いやりとりの中に幸生の自分への想いを感じ、桜の心はきゅんとなった。  通話を切ると、桜はぼんやりと部屋の中に視線を泳がせた。  無造作に山積みされた父の蔵書。  評論集。エッセイ。古いキネマ旬報。おもに映画関連のものが多い。  それから、小説の文庫本。映画のパンフレット。  整理しながら、桜は時折その中からてきとうな本を引っ張りだしては読み耽っていた。  何気に桜はそのひとつを手に取り、誌面を眺めた。  小難しそうな映画論のハードカヴァー。タイトルを見る。 ――ゴター、ル……?  それは、桜がまだ未知らぬ映画のジャンルに関する評論本だった。  桜はベッドに横になると、天井の模様を見つめ、溜息混じりに独り言を呟いた。 「あ~あ。期末試験が終わったら、ひさびさに映画に行きたいなあ……」 ――そしたら……   また、いっぱいいっぱい映画の話、しようね。
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