#3 マイ・フェア・レディ

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(4) 「ね、ね、‘ごだーる’って、何?」  週に2度に決めた幸生との通話で、桜は頭の中にひっかかっていた疑問をスマホの送話口に届けた。 「たぶん、映画関係のだと思うんだけど……」  桜が問いかけが終わらぬうちに、幸生は半ば呆れて返答した。 「お前、そんなのも知らないの? 映画好きなら基礎の基礎だぜ」 「ごめん」  幸生が無意識に発した『お前』という呼び方に桜の心は弾んだ。  乱暴な言い方の中に、幸生の気の置けない桜への心持ちが籠っているのを感じたような気がした。 「ゴタールってのは、フランスの映画監督。ジャン・リュック・ゴダール。映画史の授業なら二学期の締めに習うくらい重要な単語。ここテストに出るよって先生が注意するくらいの必須用語。しゃーないなぁ桜は」  丁寧に教えてやる幸生だったが、その説明に桜はうわの空だった。「うん、うん」と返事はしていても、幸生の心地よい透き通るようなテノールの声に聴き入っているだけだった。  この声を聞いているだけで安心できる。  桜はそれだけで満たされた。     *   *   * 「――あ、じゃあ、そろそろ切らないと、ね」  また予定していた時間を大幅に過ぎてしまい0時を回って、桜は謝りながら通話を終わらせた。  「じゃあね」とお互いに告げたものの、名残惜しく、釦を押すまでさらに4分20秒延びた。
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