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積まれていた状態では埋もれていて気づかなかったのだろう。崩れたことで顕になった記憶を桜は拾い上げ、頁を開いた。
母は「失くした」と話していたし、遺品整理のときにもこの本は結局見当たらず、半ば諦めていた。桜にとっては消失した幻だった。
棘のように桜の中にひっかかっていた欠片が、いま目の前に現れたのだ。
桜はベッドから降りると、その本を持ち上げ開いてみた。
いわゆる「やおい系」の絵柄に桜は少し面食らった。
それなりにマンガは見てきていたが、こういったテイストの絵柄にはあまり耐性がなかったのだ。
思わず一瞬のけぞってしまった。
が、気を取り直して桜は頁をめくっていった。
かつて母が熱く語ってくれた物語と、本の内容はほとんど変わらなかった。
それだけ母はこの作品を何度も読み込んだのだろう。細かな台詞も暗記するほどに。
夜も更けたにも係わらず、桜は一気に読了した。
母の情熱そのもの(殊に、主人公であるシモンへの腐女子的想い)は桜は理解しきることはできなかったが、漫画じたいは桜がこれまでに読んだ中でも稀有なほどの非常に面白い作品だった。
単行本を閉じたあとも、桜は感動に沈っていた。
ふだん映画を嗜む桜にとって、この感覚は優れた名画に出遭ったときと同様の印象だった。
「ふう……」
思わず、溜息が出た。
たった200頁にも満たない1冊にも拘らず濃い内容に桜は胸を抉られたような疲労感に遭ったが、心は満たされていた。
こんな本に巡りあう機会を与えてくれた父や母にありがとうを言いたかった
眠る前のほんの時間潰し程度のつもりだったが、読み耽ったためにかえって眼が冴えてしまった。
桜はカーテンを開けると夜の帳のかかる甍の波を眺めた。
動くものもない、森閑とした風景。窓ガラスを通じて感じる冷んやりとした空気が心地よかった。
空が白みかけてくるまで、桜は眠ることができなかった。
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