#3 マイ・フェア・レディ

11/13
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/81ページ
(8) 「どこにあったの? それ」  桜の掌の中のものを凝視しながら、泰秀が呟いた。  即座に桜がそれに応えた。 「あたしの部屋の本の山の中」 「そっか……」  答えると、桜はその単行本を卓の上に置いた。  泰秀は晩酌の手を止め、本の表紙をまじまじと眺めた。  父のリアクションは何かを物憂うように桜には見えた。  そっと頁を捲りながら、父が桜に問う。 「読んだの?」  桜がこくりと頷く。 「お父さんは?」  少しの間を置いて、桜の質問に父が微かに首を上下させた。 「でも……いつの間にか、どこかに紛れ込んじゃって」  酒が回りほんのり赤ら顔になった父が、独り言のように呟いた。 「それは……お母さんがボクに貸してくれたんだ。自分が大好きな本だって、ね」  アルコールのせいだったのだろうか。今夜の父は妙に饒舌で、訊かれるともなく素直に語り始めた。 「桜の感想は? おもしろかった?」 「うん。すごく」  桜は即答した。  父がビールを一口飲んで、続ける。 「ボクはあんまり漫画は読まないけれど……SF漫画で、こんなに凄いのがあるのか、ってビックリしたのを憶えてるなあ。日本の漫画って、すごいよ」  すごいすごい、と父は繰り返した。  桜は黙って聴いていたが、その通りだと思った。  暫く頁を繰っていた父が本を閉じ、表紙を大切そうに撫でて語った。 「ずぅっと探してたんだけどなあ。瑞江さん――母さんと別々になるときに、返さなくちゃと思ったんだけど、見つからなくて。見てのとおり、整頓が下手だからね、ボクは」  父の独り言ちに桜の口が即座に返した。 「うん。そう思う」 「娘のお前に言われるくらいじゃ、救いがないなぁ」  そう応えながら、泰秀はハハハ、と笑った。 「そっか。あったのか。そんなとこに」  改めて、しみじみと噛み締めるように父は言葉を重ねた。  父の目には涙が浮いているように、桜には見えた。 「この本、あたし、もらっても、いいかな」  一瞬娘のほうを見た後、瞳を閉じて父はゆっくりと頷いた。  父はテーブルにあるそれを持ち上げると、娘に差し出した。  バトンを手渡されるように娘はしっかりと父から本を受け取った。 「そのほうが、瑞江さんも嬉しいだろうね」 「うん。あたしなら、ぜったい失くしたりしないから」  ばつの悪そうに桜の眼を見詰め、父が頷いた。 「大切にしよう、な」
/81ページ

最初のコメントを投稿しよう!