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車は広い国道を通り抜け、市内へと入っていった。
桜にとって、この街は小学校の頃に訪れて以来なので、朧げな記憶しかない。
それでも、こうして窓を流れる街並みを眺めていると、微かな断片の澱が息を吹き返し懐かしい感情が湧いた。
道路の標識。看板。商店街のアーケード。
次々と目に飛び込む風景。
今朝まで居た街とは、明らかに漂う空気が違う。
具体的には何がどうということは説明がつかないけれど。
これまで桜が住んでいた太平洋側の土地と、この日本海に面した地域の潮の差なのだろうか。
桜はパワーウィンドウを下げてみた。
モーター音と共に窓が降りていき、隙間から車内に土地の空気が押し寄せてくる。
こちらのほうが海に近いせいか、どことなく風が磯の薫りを運んでくるようにも感じる。
大陸から直接流れてきた気体の塊が、北風となって家々の間を駆け抜けているのを桜は感じた。
海の水蒸気をたっぷり吸った、湿気のある風が心地いい。寒さは感じなかった。
ゆっくりと目を閉じ、深く息を吸ってみる。
「寒いだろ?」
父が声をかけたが、桜は構わずに髪をなびかせていた。
「ううん。きもちいい」
桜は顔いっぱいに新しい場所の匂いを受けた。
「ちょっと回り道しようか。桜もこの街は久々だしな」
運転をしながら泰秀は後部座席の桜に提案をした。
桜が「うん」と頷くと、泰秀はハンドルを切り、国道を逸れていった。
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