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桜はいつかの記憶を掘り起こしていた。
大仏の座る台座の中に巡る回廊に在る絵巻は、いま十代の目にはさほどの畏怖は感じず、ただこの大仏の成り立ちと由来を示す表示に過ぎなかったが、幼い頃の桜にとっては怖ろしげな地獄の絵そのものだった。
確かに、地獄絵も展示の中にはあるが、割合としては多いわけでもない。
幼少時にはこの回廊の薄暗さも相まって恐怖のイメージが増幅され刷り込まれてしまったのだな、と16歳の桜は思った。
怖れの理由が意味付けされると、桜の意識は冷静に展示が見られるようになった。
と同時に、冷静になった頭脳の回路が畏れによって紐付けされ封印していたこの回廊の記憶も解凍していった。
桜の記憶が目に映る回廊のイメージとダブり蘇る。
昔、ここを父と共に歩んでいた。そのとき、この回廊の途中で、眼前に女性が現れた。
女性は、父と顔見知りのようだった。
顔は憶えていない。桜の記憶は、その女性の顔立ちまでは再生できなかった。
ただ、――そう、ただ、その女性が父に訊ねた、ひとことが妙に耳に残っていた。
“――娘さん?”
――あれは、誰だったんだろう。
「どうした? 桜」
壁の絵を眺めながらぼんやりとしていた桜に、泰秀が声をかけた。
「ううん、なんでもない」
咄嗟に桜は嘘を吐いた。
――ホントは、なんでもなくない。
あのときの女性が誰だったのか、桜は父に質したかったが、飲み込んでしまった。
そんな戸惑いを知ってか知らずか、泰秀が言葉を継いだ。
「そろそろ、行こうか」
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